自由奔放な筆遣いが冴えた山水画の傑作。墨のトーンと運筆の変化を駆使し、ピンと張り詰めた緊張感をただよわせている。琴を抱えた高士が山中の隠者を訪ねるという画題は、琴士でもあった画家自身を重ねているのかも知れない。浦上玉堂は、日本文人画のみならず、江戸絵画の中で欠かすことのできない個性派の画家である。本作は70歳頃制作の新出作品であるが、玉堂水墨画の魅力を余すことなく伝えてくれる。
《抱琴訪隠図》
1813(文化10)年頃
112.0×62.8cm
紙本墨画淡彩、掛幅装
清親晩年の肉筆画—これまでに類例のない大作で、貴重な新発見作品。武田信玄・上杉謙信の川中島合戦に取材するが、その画風は独創的。陰影をほどこしたユーモラスな人物表現には、錦絵漫画で培った清親の画歴の片鱗をのぞかせる。その表現は、現代人をも引き込む魅力をもっている。裏には、光を意識した水墨による大胆な龍虎図も描かれた豪華な仕立ての屏風。清親は幕臣として明治初年に静岡に身を寄せた静岡ゆかりの画家。《東京名所図》などの風景版画で名を高めた明治の浮世絵師。
《川中島合戦図屏風 (裏:龍虎墨竹図)》
1910(明治43)年
各166.0×358.8cm
表:絹本金地着色 裏:紙本墨画淡彩、六曲一双屏風
徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜が描いた油彩画。最近の調査で、慶喜真筆であることが分かった。厚紙に手製の油絵具で描かれている。風景が描かれた場所など詳しいことは、分かっていないが、慶喜は自ら写真を多く撮影したので、それらが組み合わせられて、実際にはない理想の風景が描かれた可能性がある。明治初期の油彩画の源流を探ることのできる貴重な作品であり、歴史資料でもある。
《風景》
1868-77年(明治初期)頃
31.0×45.0cm
紙、油彩
山梨尚彦氏寄贈
川村清雄は、日本の風土や伝統に即した、日本独自の油彩画を描こうとし、様々な油彩技法を改良、開発した。本品は、その卓越した技量や制作の過程をよく示すものである。画題も東洋風であり、小品ながら川村作品の特性がよく出ている。サインの形状からみて、画家の中期から後期の作品と思われる。
《水辺》
1899(明治32)年頃
24.9×55.3cm
板、油彩
吉岡和子氏寄贈
静岡市内のアトリエ近くにある山を淡々と描いた佳品。掛川出身の作者は戦前の春陽会に参加し、中川一政や石井鶴三らとともに活躍した。第二次大戦を機に静岡に戻り、中川雄太郎らと写実派協会を結成、地元画壇の指導的存在のひとりとなる。その後半世紀にわたって、本作にみられるような手堅く穏やかな技法で静岡の風景を描き続けた。
《裏のみかん山》
1968(昭和43)年頃
45.6×53.2cm
キャンヴァス、油彩
小栗悠嗣氏寄贈