展覧会2012年度 企画展

マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展

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インカ帝国展に関するご質問

マチュピチュには、雪は降らないのですか?

降りません。寒暖の差は激しく、0℃近くから22、3℃まで変化します。霧やにわか雨のある土地です。

出品番号26、27番は、《骨製の織物道具》ということですが、人骨なのでしょうか?

人骨ではありません。大型の四足獣のものと思われますが、詳細は不明です。

マチュピチュは、東西南北どのような方向に向いているの?

おおむね、こんな感じです。
展示してあるジオラマですが、向かって右奥が北に当たります。
画面奥の峰が、ワイナ・ピチュです。

出品されている織物、とても色が鮮やかですが、本物なのですか?

本物です。
帝国の滅亡から500年も経っていないので、歴史上の文物としては新しいのです。
また、保存状態の良いものを選んで、ご覧頂いています。

インカ帝国人の人種は、モンゴロイドなのですか?

アフリカ大陸で発生した人類は、ユーラシア大陸を経て、4万年ほど前に、シベリアまで北上したと思われます。
そして、かつてベーリング海峡に存在した地峡(ベーリンジア)で、2万年程の間、他の地域と隔離された状態を保ったようです。
その後、1万6千年程前にシベリアからアラスカへと進出したグループが、アメリカ先住民の祖先です。
つまり、アメリカ先住民の祖先集団は、北アジアに由来しており、ベーリンジアで過ごした期間に、独自の遺伝的な構成を獲得したと考えられています。

なお、今日の人類学では、モンゴロイド(黄色人種)やネグロイド(黒色人種)、コーカソイド(白色人種)といった名称はあまり使われません。

アンデス地方では15~16世紀末まで原始の文化が残っていたのだろうか?

文明の時代区分を石器時代、青銅器時代、鉄器時代、と分けるなら、インカ帝国は青銅器時代に当たります。
その意味では、発展途上にあったといえます。ですが、今日の我々とは異なる観点から発達を遂げていますから、単なる原始社会とは言えません。
インカ帝国は、アンデス文明最後の古代文明とも呼ばれることがあります。

インカ帝国のミイラはエジプトのミイラのように内臓の処置はされているのでしょうか。

インカ帝国における〔遺骸の〕内臓処理の有無に関しては、ひと括りにはできず、身分の高低、生態環境などさまざまな要因で決定されていたと考えられています。

インカ王のミイラについては、征服後のある記録には「遺体には防腐処理が施されたが、その方法は知られていない」とあり、また死去した王たちの内臓は、すべてクスコから少し離れたタンプと呼ばれる町の神殿に埋められることになっていたとも書かれていますから、内臓は処理されていたということが文献資料からは読み取れます。

一方、会場に展示してあるチャチャポヤのミイラについては、CT撮影をした結果、胸腔内には心臓と肺が、腹腔内には腸や肝臓などの内臓が残っていたことを確認しています。

つまり、記録上ではインカ王は内臓を抜いた人工的なミイラの可能性があり展覧会の展示作品のチャチャポヤ地方のミイラは内臓処理をしていないミイラということになります。