アマリリス Amaryllis

2011年度 夏 No.102

研究ノート
静岡県立美術館の害虫モニタリングについて
新田建史

 緑豊かな丘陵地である日本平の中腹に位置する当館は、それだけに多くの文化財害虫やカビ等の脅威にさらされている。本稿では、それらが文化財におよぼす虫菌害への対策の過去、現状、そして今後の課題等についてご報告する1。特に、これまで有効であったトラップによる害虫モニタリングと環境改善の実施要領をお伝えすることにしたい。
 かつて当館の虫菌害対策は、燻蒸が主であった。概ね年に1回、収蔵庫内に作品を入れ、ここに殺虫、殺カビが可能な薬剤2を投薬し、虫菌害を防ごうというものである。このやり方の利点は、作品を収蔵庫に入れてしまえば、後は燻蒸業者に任せてしまえるように感じられ、手軽であることや、毎年定期的に虫もカビも死滅しているという安心感を持つことが出来ること等であった。当時使用していた薬剤は作品への影響は少ないとされ3、収蔵庫の大規模燻蒸によって虫菌害対策を行なっていた館は、当時多数あったと思われる。
 だが、主成分の一つ臭化メチルがオゾン層破壊物質に指定されたため、使用していた薬剤は2004(平成16)年12月で全廃され、このやり方に頼ることは出来なくなった。
 このような流れの中で浮上していたのが、IPM(Integrated Pest  Management)という考え方である。総合的有害生物管理と訳されるこの考え方は、侵入した虫やカビを殺していくのではなく、そもそも侵入が生じないよう日常的に環境を管理し、被害を未然に防いでいこうというものである。単に虫の個体に注意するのではなく、温湿度環境や建物の状況、職員や来館者の挙動等を全体としてコントロールすることを目指すところから、「総合的」という語が充てられている。当館が収蔵庫の大規模燻蒸を最後に実施したのは2004(平成16)年度で、翌年度からほぼ完全にIPMによる体制に移行した4
 これに当たり、最も重視してきているのが、環境のモニタリングである。これはどのような虫や菌が館内外のどこに分布しているのか、温湿度環境や通気の問題点は、また職員や来館者の挙動による不安要因は何か等々の点を、定期的に調査することである。当館が環境モニタリングを開始したのは2000(平成12)年度で、以降毎年3~4回、それぞれ1週間から10日間程度で調査を行なっている。環境の改善は、モニタリングの結果を受け、緊急性と重要性の高いものから実施していくことになる。
 モニタリングのメニューの内5、本稿で重点的にお伝えしたいのは、トラップによる虫の分布把握と、それに基づく環境改善である6。第1段階として、美術館全体にトラップを配置し、虫の有無を確認する。ゴキブリやシバンムシ、イガ、キクイムシ等、有害な虫によく注意する。虫が多く捕捉される場所を確認したら7、第2段階として、侵入経路と疑われる個所や、原因の特定に移る。
 多数確認されたのが歩行性の昆虫の場合、当該個所に至るまでのルートを探す。屋外につながる直近の扉や隙間まで、物陰や部屋の隅、壁際等にトラップを設置する。怪しいと思われるルートが複数ある場合は、全てにトラップを設置するのが望ましい。これらのトラップの内、最も虫が多く捕捉された個所が、侵入経路になっている可能性が高い。多数確認されたのが飛翔性の昆虫の場合、当該個所の誘引要因を探す。非常誘導灯のように、夜間にも点灯している照明が屋外から見える場合、誘引要因になっている場合がある。非常に小さな飛翔性昆虫の場合、館内の空気の流れに乗って、吹き溜りで大量に捕捉されていることもある。
 モニタリングの結果、虫の種類や侵入経路が特定出来たら、侵入経路の封鎖と、誘引要因の排除を行なう。歩行性の虫が屋外から侵入しているなら、扉の隙間や建物のひび等、何らかの穴があるはずである。扉や窓に隙間がある場合には、スポンジやブラシに両面テープを付けたような、隙間テープでふさぐとよい。市販の簡便な製品がホームセンター等で色々あるので、人の出入りや見栄えに配慮しつつ、効果の上がるよう設置する。建物のひびや隙間の場合、小さな隙間であれば市販のパテやコーキング材を充填すればよい8。これらはいずれも数百円から数千円で可能であり、わざわざ大きな予算を取らなくとも着手は出来る。
 誘引要因は、先に述べた光の他に、虫が歩行性であるか飛翔性であるかを問わず、食品やその匂い、カビ、虫やネズミ等小動物の死骸等が考えられる。これらの有無を、よく探す。掃除だけで対応出来れば簡単であるが、カビが原因である場合、温湿度管理や通気の改善が必要になる。結露や空気溜まりが生じないよう、建物を管理する係りと連携し、運転状況や当該個所の物品配置等を改善していく。
 侵入経路を封鎖し、誘引要因を排除したら、次のモニタリングで結果を待つ。当該個所で虫が捕捉されなくなれば、環境改善成功である。もし捕捉される虫の数が減らない場合は、侵入経路や誘引要因を他に探し、改善を試みる。害虫の侵入阻止は、大まかに言ってこのサイクルの繰り返しである9
今後の課題等
 近年の気候変化に伴ない、かつては見られなかった種類の害虫が見られるようになりそうである。東南アジアやオーストラリア原産のセアカゴケグモのように、すでに国内で世代交代を繰り返しているものや、南米原産のヒアリのように国内への侵入が懸念されているものもいる10。これらは人体への健康被害をもたらすものだが、文化財害虫にも新手が出てくることは、十分に予想される。気候変化は温湿度管理にも困難をもたらす。節電が必要な昨今であれば、なおさらである。
 今後、IPMによる虫菌害対策は、必要でありながら困難さを増すことであろう。既にIPMを導入した館園の情報が積極的に公開・共有されていくことが、作品の貸借が重要になる今後の美術館・博物館運営では、一層望まれるところである。
(にったたけふみ 当館上席学芸員)

  1. 当館の作品保存活動全般、地震対策、普及活動等々については、それぞれ以下の拙稿を参照。2011年、「静岡県立美術館の保存業務」、『博物館研究』7月号、日本博物館協会(印刷中)。2010年、「静岡県立美術館の地震対策―現状と問題点について―」、『美術館・博物館コレクションの地震対策 J.Pゲッティ美術館・国立西洋美術館共催国際シンポジウム報告書』、国立西洋美術館、pp.51–54, 183–187。2011年、「静岡県立美術館における、保存修復業務についての普及活動」、『文化財保存修復学会 第33回大会 in 奈良 研究発表要旨集』、文化財保存修復学会第33回大会実行委員会編、pp.288–289。
  2. 使用していた薬剤は臭化メチルと酸化エチレンの混合製剤。商品名エキボン。
  3. 薬剤の主成分である臭化メチルは、硫黄やたんぱく質を含む皮や毛織物、ゴム製品や写真等に影響があったため、
    それらは燻蒸しなかった。臭化メチルは作品に残存しないと言われてきたが、これを否定する論もある。最近の例は2011年、広瀬真紀ほか、「臭化メチル燻蒸による資料への臭素残留の事例」、『文化財保存修復学会 第33回大会 in 奈良 研究発表要旨集』、文化財保存修復学会第33回大会実行委員会編、pp.248–249。
  4. 展示室や荷解き場の炭酸シフェノトリン製剤(商品名ブンガノン)による殺虫は継続している。
  5. 他には付着菌や浮遊菌の測定、空気中の浮遊塵の測定、収蔵庫の有機酸やアルカリ物質等の測定等を実施してきた。館内の温湿度環境維持は、期間を限定せずに、日常的に注意すべき事柄である。
  6. モニタリング用トラップは基本的に、餌や誘引剤の付いていないものを用いる。期間は1週間から10日間程度を目安にして、2週間以上は置かないよう心がける。さもないと、捕獲された虫を目当てに別の虫が誘引され、結果として状況の正確な判定が出来なくなる。また、設置した際に床面とトラップの粘着面までの高さがなるべく同一になるような、平らなものが望ましい。小さな虫が捕捉出来ないものや、虫に好まれない素材のトラップでは、正確な結果は期待しにくい。
  7. 捕捉された虫の数が少なければ、偶然入っただけなのかどうか、継続的に観察する。
  8. 作品に近い個所であれば、充填剤から揮発する成分が問題無いかどうか、よく注意する。何らかの影響がありそうなら、よくよく換気する。
  9. 借用等で館内に入ってくる作品のチェックや、関連する虫菌害対策については、別途稿を改めたい。IPM体制に必要なモニタリングは、トラップの他に様々な経路が必要になる。それらの例は注1に挙げた拙稿「静岡県立美術館の保存業務」を参照されたい。また便利な書籍として、以下も参照。2011年、杉山真紀子著、『博物館の害虫防除ハンドブック』、雄山閣。
  10. 独立行政法人国立環境研究所が、侵入生物データベースをウェブ上で公開している。http://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/

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