アマリリス Amaryllis

2012年度 春 No.105

研究ノート
二つの来観者参加型ワークショップについて
堀切 正人

 平成23年度に当館で開催した二つの「来観者参加型ワークショップ」について記録するとともに、その意義、問題点について述べたい。
 ひとつは「もの・ひと・はこ」と名付けたワークショップで、「開館25周年記念 静岡県立美術館コレクション 百花繚乱展」の関連企画として2011年4月9日(土)~5月15日(日)、当館の県民ギャラリーBにおいて開催された。内容は、当館収蔵品の作品図版(カラーコピー)を大量に用意しておき、来場者に自由に選んでもらい、感想などを書き込んでもらう。それを簡単なルールに従って、あらかじめ天井から垂らした520本の糸に結び付けていってもらう。それらが吊るされるにつれ、次第に箱状に区画された構造体が空中に出現し、区画はそれぞれ「企画展示室」、「収蔵品展示室」、「ロダン館」「図書室」と命名された。「収蔵品展示室」と「ロダン館」には、当館所蔵作品の複製品が飾られ、「企画展示室」では、アーティスト集団「箱と人」(青木聖吾、浅井真理子、鈴木健二、宮本博行、三輪洸旗、山極満博)による特別展示を行った。内容は1㎥程度の梱包箱と、6つのテーブル上に各作家が作品を展開する展示である。美術を介して人と場とのつながりを考察しようとする彼らの趣旨との協働をはかった。 また所々に「美術館にあるもの」「美術館にいる人」のイラストおよび解説文を記した紙を下げた。「美術館にあるもの」は温湿度計、スポットライトなどで、その最後は表面のイラストが「!」、裏面の解説が「発見、感動ほか」であった。「美術館にいる人」は監視員、学芸員などと続き、最後は表面が鏡、裏面の解説が「お客さん 文化や美術を支える人たちです。持ち物:知的好奇心 豊かな感性」とした。520人を超える参加者は、他の人が吊るした図版と感想を眺め、作品図版を選び、吊り、「静岡県立美術館」を形作っていった。


「もの・ひと・はこ」展示風景

「もの・ひと・はこ」参加風景

 いまひとつのワークショップは、「考える人 折り紙プロジェクト」である。当館のロダン館は32点のロダン彫刻が常設されているが、リピーターが少ない。そこで再活性のために、ロダン館内で様々なイベントを行っている。平成23年度は「もっと!もっと!ロダン館」と題して、チェロ、クラリネットなどのコンサートや舞台俳優による朗読会、そして「やぐらプロジェクト」が行われた。「やぐらプロジェクト」は《地獄の門》《考える人》のそばに足場を組み、来観者に高い視点から鑑賞してもらうもので、2011年12月27日(火)~2012年2月12日(日)に開催された。「考える人 折り紙プロジェクト」は「やぐらプロジェクト」の補足イベントとして同会期に行われた。
 内容は、一枚の紙で「考える人」の人型を作る折り方を開発し、そのマニュアル(折り図)も作画する。折り紙コーナーを設け、来場者に自由に折ってもらい、所定の場所に飾るか、各自持ち帰る、というものである。折り図は当館ホームページにも掲載したので、自宅で取り組んだ人もいただろうが、館内には最終的に約300個の折り紙「考える人」が飾られ、普段は彩の少ない館内にささやかな色彩と和らいだ雰囲気を生んだ。自分の作品を置いて帰った人は、自身の分身をロダン館にとどめてきたような感覚を持たれたかもしれない。


「考える人 折り紙プロジェクト」
展示風景

 さて、この2つのワークショップを企画するにあたって意識したことは、今ある資源の活用ということである。美術館を取り巻く厳しい状況下、「県民ギャラリー」「ロダン館」などの既存施設の再活用、再活性化は、収蔵品の再認識とあわせて当館の必須であろう(注)。また、できるかぎり低予算で行うことも心掛けた。両ワークショップともに、イベントそのものに関する経費は消耗品購入の数千円程度である(電気代や人件費などの館運営のための通常経費を除く)。なお対照的に《地獄の門》前のやぐらには、制作、設置などに100万円以上の経費がかかっている。経費の多寡は活動の質とイコールではないが、安くあげようとした理由は、フットワークの軽さを持たせて、他の機会にまた様々に展開できる可能性を持たしておきたかったことと、軽さがひるがえって「箱もの」と揶揄される行政施設の重厚さと、そこに保管されている美術品の重大さをとらえなおす契機にもなるだろうと目論んだからである。
 来観者にとっては、ふらりと立ち寄って、気軽に参加し、短時間で取り組めるものにしたかった。もちろん高い気構えと高度な知識や技術を求められるワークショップもあってよい。どちらを目指すかは、参加人数をどれだけ見込むかということや、ワークショップの成果品の完成度をどう設定するかによって企画される。今ワークショップにおいては、多数の参加者を求めることと、完成度を問わないことがスタンスであった。とくに折り紙「考える人」については、実は折り図どおりに折っても「考える人」のようにはならない。折った後に、作品を見ながら手足の角度や長さ、姿勢を調整するポージングが必要になる。おそらくプロの折り紙作家などに開発依頼すれば、量感ゆたかな完成度の高い作品ができるのかもしれない。だが、折り紙作家の優れた技能を追体験してもらうことが今回の目的ではなかった。折り紙を通して、あるいは作品図版を選ぶことを通して、現物の作品や美術館に向かい合うきっかけとすること、そしてその成果を何らかの形で発言し、美術館に残してくること、それが重要であった。吊るされた作品図版に添えられたコメントや、ロダン館内に並べられた折り紙「考える人」は、参加者の個性を反映して多様なものとなった。それらは来観者が所蔵品と交わした対話の痕跡とも言うべきものであったろう。
 一般に美術館は、学芸員が展覧会を企画し、作品を選び、展示し、来観者はそれを享受する。だが、そもそも公立美術館は納税者たる市民からの忖度を受けて運営されているのであるから、美術館の所蔵品は市民が集めた市民のものであるはずである。文化財が人類共有の財産であるなら、なおさらであろう。周年記念の祝祭を単に受動的な作品鑑賞で終わらせるだけでなく、市民の主体性によって美術館や館蔵品があることを再認識する機会とし、さらには所蔵品について自発的に発話していくこと。その仕掛けとして両ワークショップが企画されたのである。
 参加者が残した対話の痕跡は、主権者の声としての重みと教授に富むものであったと思う。公立美術館の学芸員は、自らの専門性を高める努力を怠ってはならない。とともに、それが美術ないし美術館をとらえる見方の、有力ではあるがひとつにすぎないとする謙虚さも必要である。様々なチャンネルを張り巡らせて主権者の声を汲み取り、自身の学識と絶えず対話させることによってこそ、創造的な美術館活動が可能となるであろう。しかしながら、美術館学芸員を美学や美術史学などにおいて育成するシステムはあっても、こうした美術館運営を教育する仕組みはない。それは、日々の館務における各人の自覚と実践にゆだねられている。
(ほりきりまさと 元当館上席学芸員、常葉大学准教授)

(注)「 県民ギャラリー」と呼ばれる場所の再認識については、過去に別の形で取り上げたことがある。拙論「静岡NewAr[t あなたの居場所]展について」『静岡NewArt「あなたの居場所」展 記録冊子』(非売品) 2005年 静岡県立美術館 p.4,29

このナンバーの号のトップ

前のページヘ次のページヘ