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《富士三保松原図》
19世紀(江戸時代後期)
絹本着色 掛幅装
62.2×98.7
永岳は、京都を主な活躍の場とした狩野派(=京狩野)の第九代。
嘉永六年(1853)、永岳は江戸下向に際して富士山を実見する機会を得たが、本作はそれ以前に制作されたものとみられる。群青と緑青を中心とした賦彩は古典的なやまと絵にならうもので、同時代の復古的思潮に掉さすスタイル。その中に、旭日の鮮明な赤が際立っている。ここには、不老不死の仙人が住むという蓬莱山のイメージも重ねられているのだろう。
洞春は、狩野探幽(1602~74)の養子・益信の養子で、駿河台狩野家の二代当主。宝永度の内裏造営に参加し、贈朝鮮屏風の制作にも携わるなど大いに活躍した。
三保松原・清見寺・富士山を定型化した構図で描く本作は、全体に淡い墨調でまとめられ、湿潤な空気感の描出に意が注がれている。その繊細な筆墨が本作の見所である。探幽に始まる江戸狩野の良質な部分を受け継いだ、富士山図の好作例といえるだろう。
《富士山図》
17-18世紀(江戸時代)
絹本墨画淡彩 掛幅装
56.3×33.0