東京美術学校教授、白馬会創設者として明治の日本洋画壇に大きな足跡を残した黒田清輝。
日本洋画界をその双肩に担う立場となったフランス帰りの若き黒田が、日本を象徴する画題として富士山に取り組んだのがまさに本作である。油彩という西洋渡りのメディアを用いて日本風景をどう表現するべきか。多くの滞欧画家が帰国後に直面するこの課題に黒田は正面から取り組んでいる。本作は6点それぞれに、逗子あるいは鎌倉の海辺から海を隔てて富士山を描いた連作であり、季節と時間によって移り変わる情景を、新鮮な色調で描き出している。
《富士之図》
1898(明治31)
板、油彩 25.0×33.0cm
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《献花》
1958(昭和33)
キャンヴァス、油彩 65.0×80.0cm
精緻な筆致と明快な色彩感覚、そしてトレードマークともいわれる個性的な点描技法で、独特の詩情漂う作品を描いた岡鹿之助。花の静物画は雪景と並んで岡の主要なモチーフの一つとして知られる。パンジーの小品がとりわけ親しまれているが、大作においては多種多様な花をモティーフに取り上げている。
本作はこの花の静物画の代表作の一つ。「中心から放射状に広がる形態とそれによって生じる動きへの関心」(田所夏子氏)を軸として作画された非常に構築的な作品。第35回春陽会展出品作で、岡の個展でもしばしば紹介されている。
小林猶治郎は現在の静岡市清水区興津に生まれた。祖父は興津から出て日本橋の木綿問屋小林家(屋号は丁吟:現チョーギン)で頭角を現し、やがて小林の分家を興すことを許された立志伝中の人物。猶治郎はこのような財産家の家に生まれ、生涯絵を売らずに過ごせた画家である。その作風を一定の流派に当てはめて考えることは難しいが、あえてひとことで表現するならば、旺玄社で活動をともにした牧野虎雄のように、不透明で強い色彩をもちいるフォーヴ風といえる。今回は、当館の収集方針に鑑み、1920年代から50年代にかけて各時代の様式をあらわす風景画の御寄贈をいただいた。
《崖》 1924(大正13) キャンヴァス、油彩 50.0×60.7cm |
《雪渓》 1924(大正13) 板、油彩 24.0×26.0cm |
《踏附けられた景物》 1925(大正14) キャンヴァス、油彩 53.0×65.5cm |
《夜櫻》 1930(昭和5) キャンヴァス、油彩 91.0×106.0cm |
《峠》 1928(昭和3) キャンヴァス、油彩 46.0×137.0cm |
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《一獻淡味》 1930(昭和5) キャンヴァス、油彩 91.0×106.0cm |
《山峡》 1930(昭和5)頃 キャンヴァス、油彩 90.0×73.0cm |
《入江(習作第六〇四)》 1941(昭和16) キャンヴァス、油彩 90.0×117.0cm |
《静物》 1954(昭和29) キャンヴァス、油彩 71.0×38.0cm |