展覧会2012年 企画展

出品作品紹介カラーリミックス −若冲に現代アートも−


出品作品の詳細情報は出品リストをご覧ください。

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椿椿山《花卉図》

透明感ある軽やかな色彩、清らかな描写
椿山は渡辺崋山の高弟。淡彩の花卉図を得意とし、遠州の文人画界にも大きな影響をのこした。本図も水仙・菊・牡丹などの様々な花を、写生をもとにした堅実な描写で描く。花や葉の描写には、輪郭線を省いた没骨描法(中国・明末清初の画家惲南田が得意とした描法)が用いられ典雅な趣を高めている。軽やかで透明感ある色調も椿山画の特徴で、その色彩感覚をよく表している。

《花卉図》

石田幽汀《群鶴図》

《群鶴図》

総金箔の舞台、ぎっしり描かれた無数の鶴
一面に金箔が貼られた華やかな画面。描かれている鶴は5種類、その数49羽。鶴は、細かな羽根の表現や、一羽一羽の表情まで、しっかりと丁寧に描かれており、画家のこだわりを感じさせる。翼を大きく広げていたり、天に向けて首を伸ばしていたりする鶴の大きな身振りは、金地のきらびやかさに負けないにぎやかさを画面に与えている。円山応挙の師・幽汀の壮年期の作品。

小林清親《浅草夜見世》

群衆と建造物の夜の表現
浅草の夜の仲見世に取材した作品。山門前の賑わい。群集は闇の中にシルエットで描かれるが、光に照らされた顔は異様に白く浮かびあがる。また五重塔など、夜見える建造物を鋭い観察により巧みに描いている。光と闇を意識した清親ならではの作品。

《浅草夜見世》

小松均 《赤富士 上下》

赤の衝撃
画面は赤で覆われている。赤富士は珍しくない画題であるが、これほど強烈な作品は他に例がない。描かれているのは、静岡と山梨の県境付近。裾野の牧場では無数の牛たちが草を食み、池には富士山が映り込む。空は夕暮れを告げる鮮烈な赤に染まり、雲は銀色に輝いている。裾野から山頂へと至る壮大な構図も魅力的だ。大地の力強さをストレートに表現した作品だ。

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秋野不矩《たむろするクーリー》

インドの強い陽射しの中で
照りつけるインドの陽射しを、作家は金箔で表現している。微妙な色味の変化を付けることで、金の深みがより一層出ている。クーリーとは、乗客の荷物を担いで運ぶ人のことであるが、彼らのまとう衣服の鮮やかな朱、濃い褐色の肌、そして背景の金との間には、強烈な響き合いが見られる。インドの過酷な自然と、そこに生きる人々の力強い生命力を表現している作品だ。

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狩野探信守道《井出玉川・大堰川図屏風》

《井出玉川・大堰川図屏風》

鮮やかな群青の霞、まろやかな緑青の土坡
右隻は、山吹の名所・井出玉川の春景を描いており、左隻は、紅葉の名所・嵐山を流れる大堰川の秋景を描く。どちらも、古来より和歌に詠まれてきた京都の景勝地である。鮮やかな群青を用いて描かれる霞、柔らかな緑青の土坡、随所に撒かれる金砂子など、画面は優美な装飾性を持っている。寒色の多い画面の中で、山吹の黄や紅葉の赤がアクセントになり、より一層画面を引き立てている。

山本探川《宇津の山図》

半円で描かれた、リズム感ある緑青の山
『伊勢物語』「蔦の細道」の舞台、宇津の山。主人公の在原業平や旅の僧侶といった人物を描かず、舞台装置で物語を象徴的に表す「留守模様」となっている。鮮やかな緑青の山は半円の重なりで描かれ、画面にリズムをつくり出している。上方には、金泥の波が描かれた群青の海が広がっている。探川は狩野派に連なる画家であるが、画面構成には琳派からの影響が強く表れている。

《ケント州、アンダーリヴァーのホップ畑》

ポール・シニャック《サン=トロペ、グリモーの古城》

色の粒で描かれた南仏の廃墟
シニャックはスーラに次ぐ新印象主義を代表する画家。サン=トロペは南仏にある小さな漁村で、彼は20年以上、パリと並んでこの漁村を中心に活動した。この絵に描かれているのは、グリモーの丘に立つ中世の遺構とサン=トロペ湾である。画面を埋め尽くす黄色、ピンク、オレンジの暖色は、群青や青紫の寒色と呼応し、バランスのとれた構図に色彩の輝きと調和を与えている。

《サン=トロペ、グリモーの古城》

サミュエル・パーマー《ケント州、アンダーリヴァーのホップ畑》

自然の恵みに感謝を…
英国の秋は早く訪れる。小さい画面一杯に広がる黄金色の風景にじっと目をこらすと、ち密な点描で、金色に緑や赤の変化を加えながら、様々な樹木や植物が描かれている。右手前と中央左に白く光るのは、豊かな実りのときを迎えたホップ。馬上の人物を先頭に、左から右へと進むグループは、小さく控えめに描かれ、風景と一体化している。収穫がもたらす喜びと、自然讃歌が伝わる作品である。

《ケント州、アンダーリヴァーのホップ畑》

ジョゼフ・アルバース《正方形頌》

黄色、オレンジ、緑の相互作用
色と大きさの異なる四つの正方形が、重なり合うように描かれている。作者は、色の異なる正方形を組み合わせ描く「正方形賛歌」シリーズを1950年代前後から亡くなるまで1000点近く制作した。同じ黄色でも、周りに置かれる色によって、違った色にみえたり、収縮したり膨張して見えたり、組み合わせによって色彩がさまざまな表情をみせることを、制作をしながら探求していった。形を極限まで限定したことで、色彩の相互効果がいっそう際立っている。

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山口長男《脈》

大陸の大地を思わせる大らかな黄
合板の表面に、ペインティングナイフで、絵の具を幾重にも塗り重ねることによって作り上げた画面。温かさを感じる黄と厚みのある色面は、大らかで力強く、大陸の大地を思わせる。線状の盛り上がりによって区切られた黄土色の四角い面は、互いに押し合いながら外に向けて広がろうとしているかのようにも見える。

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ダレンアーモンド《Civil Dawn@Mt.Hiei.7》,《Civil Dawn@Mt.Hiei.8》

幻想的に浮かび上がる夜の闇
満月の夜の月明かりの下で、15分以上もの長時間露光を行い自然の風景を撮影した「フルムーン」シリーズのうちの2点。月の光によって、幻想的に浮かび上がる夜の闇の木立が、その場の静寂さや空気感をも包み込むかのように捉えられている。この作品を制作する過程で、アーモンドは、実際に日本を旅し、そこに暮らす人々と対話をして、彼らの記憶や、物語を手がかりにしながら撮影を行った。そうして写し出される風景は、ノスタルジーを喚起させ、観る者の中に内在している記憶に語りかけてくる。

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白髪一雄 《屋島》

激しく豊かな赤の表情を味わう
作者は、情動的な抽象絵画の表現を極めたいとの思いから、1950年代半ばに大量の絵具を用いて足で絵画を描く手法を編み出した。描く「行為」に価値を求めた初期は、色の観念を排除するため、あえて赤や黒一色だけを使ったが、50年代後半からは多くの色を用いた。本作では、黄や黒が生みだすニュアンスと絵の具の物質的な厚みが、赤のさまざまな表情を引き立て、作品の激情性を一層際立たせている。

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ジョゼフ・コスース 《タイトルド,雨》

イメージをそぎ落とす黒
辞書の中の「雨」という言葉の定義を写真に撮って、黒アルミニウムパネルに焼き付けたもの。色を黒と白の単純な色に切り詰め鑑賞者の感情への働きかけを極力抑えている。絵画や彫刻など一般的に芸術作品と考えられているものから、視覚的なイメージだけでなく、物質性もそぎ落とし、作家の頭の中で考えた観念だけを、文字のフィルターを通して示している。「芸術とは何か」という疑問を投げかけることこそがコスースが考える芸術なのである。

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カール・アンドレ《鉛と亜鉛のスクエア》

素材そのままの色
工業製品に使われる二種類の金属を用い、素材の色と表面の質感の違いを作品の効果に生かして、床に交互に並べた作品。作者はブロンズ、大理石などの伝統的な素材ではなく、金属や石、ブロックなどを、さして加工もせずにそのまま床に置く。そうすることによって台座によって大地から立ち上がろうとする伝統的な彫刻を批判し、空間造形の新しい可能性を開いた。この作品は、鑑賞者が足で踏むことを想定して作られている。

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アンゼルム・キーファー《極光》

鉛色の戦争の記憶
極北の大気中にあらわれた極光(オーロラ)と暗鬱に波打つ海面を背に、暗礁に乗り上げてしまった一隻の軍艦。未知なる世界への憧憬と人知及ばぬ運命による挫折という、ドイツ・ロマン派の世界に通じるテーマを、故国の戦争の歴史と重ね合わせ、記憶の世界を鉛色の色調で表現している。縦長の画面に、塩酸で処理した鉛や写真の断片が大胆にコラージュされている。

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和田英作《富士》

朝焼けのほんのり赤みを帯びた 富士
富士を描いた画家は、多い。しかし、和田英作ほど日本人の心の中にある原風景としての富士を描いた画家はいないだろう。まだ辺りが暗いなかで朝焼けの富士を描いたこの作品からは、和田の富士に込めた想いが伝わってくるようだ。

和田英作《富士》

斎藤義重《作品2》

ドリルの痕跡が際立つ明快な赤
ドリルで線や面状の凹凸をつけた合板の表面に、明快な赤を基調とする油絵具で彩色をしたもの。板の表面に残るドリルの痕跡によって、筆で描かれた幻影ではなく、現実空間に文字どおり奥行きを出現させている。戦後、平面作品から制作を再開した斎藤の作風が、次第に脱平面化へと向かっていく転換期の頃の作品である。

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池大雅《龍山勝会・蘭亭曲水図》

池大雅《龍山勝会・蘭亭曲水図》

カラリスト・大雅の傑作、繊細な色彩表現に注目
与謝蕪村とならぶ日本文人画の大成者・大雅の傑作。中国・晋の故事に取材する。雄大な空間表現、流麗でのびやかな筆法、随所に円熟期の充実した画技を見せつける。画面には屈託のない明るさがあり、おおらかな気分にあふれている。鮮やかで軽妙な色彩感覚は、当時としては斬新で、本図の大きな見どころ。色だけに注目し細部鑑賞しても見飽きることはない。カラリスト大雅、面目躍如。41歳の時の作。

ジョアン・ミッチェル《湖》

20歳代後半の激しい青
激しく深い青を基調として赤、緑、黄、黒、白の勢いのあるストロークが画面中央に集積し、その上下を、白が支配する区画が取り囲んでいる。ミッチェルは学生時代からの印象派の色や構図の研究成果と、ニューヨークで吸収した、抽象表現主義の表出性を消化し、みごとに結合させている。色彩と線と構図によって、いかにリアルな空間を作り上げることができるか試みた20歳代後半の意欲作である。

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狩野永岳《四季耕作図屏風》

狩野永岳《四季耕作図屏風》

移ろう季節の流れを包み込む金
金雲に包まれて描かれているのは、四季の移ろいの中の農耕の様子である。金雲の周りには、金銀の砂子が撒かれ、画面の装飾性を高めている。本作は中国風俗で描かれており、各場面は様々な版本等の図像を組み合わせて構成されている。山水図としても充分成立する合理的な画面構成は、永岳の力量の高さを表している。また、粘度の高さを感じさせる特徴的な群青は、永岳独特の色使いである。

長沢蘆雪《牡丹孔雀図》

透明感のある色彩の対比
軽やかな色彩で描かれるのは、孔雀、錦鶏、雀などの鳥たちと、牡丹や野ばらといった植物。孔雀の羽根の緑のグラデーションが美しく、また錦鶏の羽根の朱色で画面がピリリと締まっている。孔雀は九徳を備えているとも言われ、また牡丹は百花の王と言われることから、おめでたい画題であると言うことができる。蟻や蜘蛛、モンシロチョウといった小さな生き物を描きこむところに、蘆雪らしさが表れている。

長沢蘆雪《牡丹孔雀図》

入江波光《草園の朝》

やわらかな緑、あたたかな光
淡い緑の草園の中で、幼子が乳母車の傍で遊んでいる。子守の少女は、梢の白い花に手を伸ばしている。朝露に濡れる草木は、二人を優しく包み込むような繊細な色彩で描かれており、朝の柔らかな光で満たされている。波光のやわらかな色彩と光の表現は、ヨーロッパ遊学中にイタリアのフレスコ画から学んだものである。優しく甘やかな雰囲気は、波光独特の魅力をたたえている。

ギュスターヴ・クールベ《ピュイ・ノワールの渓流》

クレー《ホールC.エントランスR2》

色彩の魔術師
「色彩が私をとらえたのだ」。作者自身が語ったこの言葉抜きに、クレーを語ることはできない。30代半ばでのチュニジア旅行以後、クレーは色彩にめざめた。建物の内部を描いたこの作品は、緑を中心とする寒色系のグラデーションと、赤・紫・オレンジなどの暖色系のグラデーションが織りなすリズムを、白が引き立てる。四角、半円、三角などの幾何学的な形と色彩が奏でる、不思議な作品である。

ギュスターヴ・クールベ《ピュイ・ノワールの渓流》

森田安次《風の又三郎》

躍動感にあふれた、文字のリズム
墨でリズミカルに書かれているのは、宮沢賢治「風の又三郎」の冒頭の一節。墨の色は、文字を書く力加減によって、その表情を変えていく。「どっどどどどうどどどうどどどう」の力強い筆遣いと、「あまいざくろをふきとばせ すっぱいざくろをふきとばせ」のすっきりとした線の対比が魅力的な作品だ。

ギュスターヴ・クールベ《ピュイ・ノワールの渓流》

ギュスターヴ・クールベ《ピュイ・ノワールの渓流》

きらめく木々の翠、澄んだ水の碧
ギュスターヴ・クールベは、目に見えるものだけを描くことを信条とした、フランスの画家。この作品で描いているのは、故郷にも近い渓谷の眺めである。風にそよぎ、千変万化する葉群の表情を追う筆のタッチや、パレットナイフで厚く塗った絵具で表わした岩、そして静かに流れながらも、岩の姿を映し返す澄んだ川の水面。色と、それを支える絵肌との豊かな取り合わせに注目したい。

ギュスターヴ・クールベ《ピュイ・ノワールの渓流》

横山大観《群青富士》

横山大観《群青富士》

やわらかな金の光
金の光の中、数条の残雪を残した初夏の富士がそびえ立つ。湧き上がる雲は、形や大きさに変化があり、画面に一種のリズム感を与えている。雲の下からは金地が透けており、初夏の太陽の日差しを思わせる。右隻の富士の群青と、左隻の山々の緑青との明快な色彩の対比美しい。構図は簡潔で、大正期らしいおおらかな造形感覚が顕著にあらわれた作品。色彩や形態感覚には琳派の研究が生かされている。

ジョン・コンスタブル《ハムステッド・ヒースの木立、日没》

静かに振り返る一日
コンスタブルは43歳の頃、妻子のために、空気の良いロンドン郊外のハムステッドに移住した。その風景を、彼は多くの画面に描くことになる。「10月末日は本当に素晴らしかった。眺めるばかりで絵を描くことができないほどだった。妻は私といっしょに美しいヒースの上を半日中歩いた。」暮色に染まる空、静かに影へ沈んでいく緑の木立。日々の静かな感動が、穏やかな明暗の対照の中に浮かび上がる。

クロード・モネ《ルーアンのセーヌ川》

伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》

伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》

色とりどりの、動物たちの楽園
右隻が「動物尽くし」、左隻が「鳥尽くし」、沢山の色を使って、身近な生き物から想像上の生き物まで、さまざまな鳥獣が水辺に集う様子が描かれている。方眼で埋め尽くされたこのような描き方は、「桝目描き」と言い、若冲が考案したと考えられている。「尽くし」という趣向や、普賢菩薩の乗り物である白象、百鳥の王である鳳凰を各隻の中央に描くところから、吉祥性の強い、おめでたい屏風と言える。

クロード・モネ《ルーアンのセーヌ川》

光と風にたわむれて
穏やかな陽射しの下、彼方に広がる青い空と雲、街並み。そして此方に揺れる帆船のマストが少しばかり左に傾いているのは、波のせいか、風のせいか。画面は全体にあっさりと仕上げられ、空には塗り残しも多く、薄いベージュ色の下塗りが見えているところもある。「習作的だ」という批判も呼んだ、この細部にこだわらない描写が、却って色の効果を引き出し、静かな光と空気を観る者に伝えるのである。

クロード・モネ《ルーアンのセーヌ川》

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