風景画を得意とした吉田博(1876-1950)は、油彩、水彩、版画など、様々な技法を使いこなし多彩な作品を残したが、とりわけ山を描いた作品に力作が多い。後に日本山岳画協会を結成したほどだから、もちろん山登りは好きだっただろう。だが、山が先か絵が先かと言えば、まず絵だったのではないだろうか。
画業初期、アメリカ旅行中の吉田は新聞記者の質問に答え、彼の地で出会った画家の話を引き合いに自身の創作理念を語っている。それは、どんなに技巧が優れていても、暖かいアトリエで描いた絵からは寒さを感じることができない。
吉田博《上高地の春》
1927(昭和2年)
キャンヴァス、油彩 80.5×116.8cm
自然を描こうとするなら、ありのままの自然に立って自らの感覚を作品に反映しなければならない、というのだ。そうした考え方を実践した彼は、厳しい時期であっても山に登って絵を描いた。彼の作品から放たれる強いリアリティーは、そうした作画姿勢の結晶とも言えるものではないだろうか。この作品も、寒さの残る山々を描きながら、いっせいに芽吹く緑から、春の訪れを喜ぶ作家の気持ちが感じられる。
(当館上席学芸員 角田 新)