風景の交響楽

風景の競演

故郷へのまなざし 日本という風景 オランダの隆盛 フランス イギリス

自らの故郷を描く、というのは、自画像を描くのに似ているかもしれない。時に美化し、賛美するが、時には凝視し、抉り出し、突き放しもする。
何かを描くためには、どうしても一歩後ろに下がり、目を走らせる広がりが必要である。画家が故郷を描くなら、そこには居ながらにして故郷を離れた旅人の憂いがあるかもしれない。たとえ身体に染み込んだ故郷の水が、筆先から自ずとにじみ出るような絵であったとしても。
私たちはそこに洋の東西を越えた郷愁を感じ、胸の奥底に降り積もったものの間から、小さな泉が澄んでいるのを見出すのであろう。
このパートでは、画家たちが見た故郷の風景をご覧いただくことにしよう。

キラリと輝く金の葉脈、洒脱な水墨画 酒井抱一 《月夜楓図》

水墨で表された、月光に浮かび上がる楓。その葉脈は金泥で神経細やかに描かれる。月の微かな光に包まれた一瞬の情景を軽妙な筆法で見事に描き出す。その洒脱な趣きは、俳諧の抒情的世界と一脈通じるところがあり、抱一の美的感覚をよく示している。

春の夕のおぼろげな空気、季節の情趣たっぷりに。 歌川広重 《墨田川春景図》

隅(墨)田川沿いの春の夕景をきめ細かな筆致で描く。空は微妙な色調の変化により、春特有のおぼろげな空気を巧みに表現している。川には帆舟が二隻ゆったりと下り、満開の桜、北国へ帰る雁の群など季節の情趣を細やかに織り込む。広重肉筆画の傑作。

雨の香りただよう名品—抒情味あふれる「光線画」 小林清親 《東京新大橋雨中図》

蛇の目傘の女、どんよりとした空の下に描かれた大橋、川面に浮かぶ小舟などのモチーフを巧妙に配し、江戸の情緒が残る東京の雨の風情を描きだす。水面は水彩画の筆触を木版で再現するなど新たな趣きを加えている。「東京名所図」シリーズ初期の傑作。

洋と和の不思議な融和 小林清親 《海運橋(第一銀行雪中)》

雪の中にそびえ立つ洋風建築(明治5年に建った第一国立銀行)の前に、番傘をさした女を配したのが清親らしい演出。洋と和、新と旧の対比による不思議な雰囲気を描き出すが、文明開化のモチーフを異物とはせず、風景の中に融和させようとしている。

繊細な光の祝福に包まれる 入江波光 《草園の朝》

淡緑に染まる草園に幼子と子守の少女が遊び、二人を包み込むように木々の葉を透かした繊細な光が満ちる。透明感ある柔らかな色彩や空間表現は、欧州遊学中にイタリアのフレスコ画から学んだもの。微妙な光溢れる甘美な雰囲気は、波光独特の魅力をたたえる。

山の清浄な生気滴る 村上華岳 《春峰晴煙図》

全体に青みをかけた中、部分的に青墨や薄茶を添え、春霞に包まれる山容を描く。柔らかな描線の震えるような律動が、山の穏やかな生気を表す。遠山の青も美しい。現実感を昇華させた上での抑制された表現に、独特の感性が冴える。

ありふれた風景の魅力 川合玉堂 《田植図》

はるか水際まで連綿と続く田圃と、田植えに精を出す早乙女たちの姿。ありふれた日本の風景を暖かな眼差しで捉え、軽やかな筆と澄明な色彩で描き出した。玉堂らしい爽やかな一幅。平野を斜めに横切る水路が、画面に広がりと動きを与える。

池面が映す壮大な時間と空間 徳岡神泉 《雨》

大小の石を見下ろす構図は安定と永続性を思わせるが、池面にわずかな波紋を広げることで、今まさに雨が降り始めたその一瞬の緊張感を閉じ込める。簡潔な構図の中に、モチーフと時間と空間との豊かな関連が取り込まれ、懐の深い画面を作り出した。

何気ない素材が絵になる 福田平八郎 《雪庭》

うっすらと雪が降りつもる地面に庭石が5つ。降り止んでしばらくの間の、しんとした清浄な雰囲気が満ちている。身近な素材を素直に画面にのせているが、繊細な質感の描出や構図の妙に、平八郎ならではの手腕が冴える。

春の雪って、たしかにこんな感じ 小絲源太郎 《春雪》

雪の東京田園調布駅前の並木路を描いた作品。垂れ込める曇天と水分を含んで重い雪。しかし、その先には春の息吹が感じられる。重厚な油絵の具の塗り重ねと、画面奥へ抜けていく空間の表現とが相まって、季節の感興を描き出す。

でんとした山の大きさ 児島善三郎 《箱根》

晩秋から初冬にかけて、箱根峠より望む芦の湖の景色を描いた作品。形を簡略化し、輪郭を太い線で大胆に描く。豊かで大きな色面は、泰然たる自然を大らかに謳いあげる。フランスのフォーヴィスムを日本的な風景に適用した好作例である。

時雨そぼ降る古色蒼然の村 須田国太郎 《筆石村》

丹後半島の乗原から筆石村の棚田を見下ろす。光と闇が連続して現れる一方で、全体としては、前景と後景が、大きく「明と暗」によって対比する構成となっている。そして、無限に広がっていく空間は、西洋絵画を学びながらも、東洋世界に通じた須田が到達した独自の画境であるといってよい。

画面に宿る光 岡鹿之助 《観測所》

筆触をぼかし、色とマチエール(絵肌)の微妙な調和をはかる岡の点描法は、まったく独特のものである。印象派の点描が、鑑賞者の目を射るようにきらめくのに対して、岡の作品は、静かに光を吸収し、反射する。光は、その絵肌に、かりそめの安らぎを得る。

吉田博 《越後の春》

旅の街道、茶屋でのワンシーン 吉田博 《篭坂》

雪の降る街道で、旅の一行が茶屋で小休止。今で言うところの高速道路のパーキングエリアなのであろう。吉田博は、鉛筆と水彩絵具を携帯し、日本各地の風景を描いた画家。水分をたっぷりと含ませた水彩絵具と白い紙の下地を活かした雪の表現は、見事というほかはない。

吉田博 《日光・荒沢》

登山家が見た日本のアルプス 吉田博 《上高地の春》

長野県の上高地徳沢園の南側、梓川辺より、前穂高岳、同北尾根、茶臼山を描く。登山家でもあった吉田博は、日本や世界の山々を踏破していった。正確な地理的配置と急な天候の変化を捉えたところに、彼の写実の特徴がある。

欧米人が高く評価した日本の水彩画 中川八郎 《松原》

この作品は、ロンドンから日本に里帰りした水彩画である。明治32年の太平洋画会第一回展に出品された後、ロンドンのコレクターの手に渡った。イギリス人は、中川八郎という無名画家を評価し、大切に持ってくれていたのだ。海辺沿いの松原に陽光が差し込む穏やかな風景、そこに日本の自然への共感を寄せていたのかもしれない。

水彩画の技、冴える 浅井忠 《雲》

油彩ばかりではなく、水彩画家としても珠玉の名品を残した浅井忠。この作品は、その浅井が最晩年に到達した技量を余すところなく伝えている。移りゆく光と影、微妙に響きあう色彩。淡く切ない瞬時の美を、水彩ならではの瑞々しい感性で描く。

堅固な構成と優雅な色彩。大家の貫祿を示す名品。 鹿子木孟郎 《紀州勝浦》

穏やかで優雅なトーンを基調としつつ、随所にみられる鮮やかな紫や緑が印象的である。デッサン、構図ともに作者の安定した力量を感じさせる佳品。海岸や渓流の岩場の風景というモチーフは、晩年に多く描かれた重厚な風景画に連なるものである。

貧困の中で描かれた入魂の大作 アールト・ファン・デル・ネール 《森の風景》

ネールの油彩画の中でも、最も大きな作品のひとつ。強い風雨の過ぎ去った後らしい。刻一刻と変化する自然の様相を的確に描き出す、17世紀オランダ風景画の特徴をよく示している。これだけの描写力を持ちながら、日々の絵画制作は貧困との闘いであった。

オランダを描く基本:層をなす雲、水、そして風車 ヤン・ファン・ホイエン 《レーネン,ライン河越しの眺め》

低く、重くたれこめる灰色の雲。豊富な水量を誇るライン河は、陰気な空を映しながら、画面を横切ってゆったりと流れてゆく。渡し舟に乗ったり、漁をしたりと、慌しい人々とは対照的に、向こう岸には水辺の町レーネンを象徴する堂々たる聖クネラ教会や尖塔が見える。

ヤーコブ・ファン・ロイスダール 《小屋と木立のある田舎道》

水平線を強調したホイエンの作品とは打って変わり、画面中央の2本の樹木と、右側の風車へと行き着く蛇行する田舎道が、無限の奥行きを作り出す。人物の配置のバランスも絶妙である。小品ながらも、水鏡に映る小屋と木立の表現に、並々ならぬ腕の冴えが光る一点。

モノクロームが捕らえた広大な宇宙 レンブラント・ファン・レイン 《三本の木》

オランダには、山が無い。その広大な低地の中で、人々は水と戦い、親しみ、畑を作り、糧を得てきたのだった。この作品の暗い空はゆっくりと蠢いているけれど、手前の土手で三本の木は、あくまでゆるぎないのである。巨人のような自然。日々を生きる人間。嗚呼。

白黒で表現した、時の移ろい・穏やかな光景 アドリアーン・ファン・オスターデ 《釣り人たち》

粗末な木の橋の欄干から釣り糸を垂れる男。気長さを要求する釣りという行為に呼応するかのように、周囲の風景にすっかり溶け込んでいる。全50点のエッチングのうち、作者唯一の風景版画と呼ばれる作品だが、本当の主役は悠久の時を刻む、時間そのものなのかもしれない。

淡々とした日常。画面ににじみ出る自然への愛情。 カミーユ・ピサロ 《ライ麦畑、グラット=コックの丘、ポントワーズ》

パリ近郊ポントワーズの情景。前景と中景との境界線は右下から左上へと緩やかな曲線を描き、左端に描かれたポプラの木が画面を引き締めている。破綻のない構成の中にも作者の自然に対する率直さがにじみ出ており、日常の美への愛情があふれている。

手を伸ばせば、そこにある風景 ギュスターヴ・クールベ 《ピュイ・ノワールの渓流》

樹木と岩と水の流れ。画家独自の視覚は、これら三要素のみで成り立った渓谷の眺めを切り取って描き出した。このユニークで大胆な構成により、迫り来る自然に囲い込まれるような錯覚を呼び起こす。自然の質感を描き分けるダイナミックな技術も見所である。

山村風景に溢れるリアリズム ピエール=エティエンヌ=テオドール・ルソー 《ジュラ地方,草葺き屋根の家》

若い頃からルソーは、ルーヴルでの名画研究より、名もない山村や山岳の風景を好んで描いていた。この小品は、スイスとの国境に近いジュラ地方の山村風景と言われているが、オーヴェルニュ地方だとする説もある。紙に油彩で描かれた後、キャンヴァスに貼り込まれている。

本当にモンマルトルの丘? アレクサンドル=イアサント・デュヌイ 《パリ、マドレーヌ大通りの窓からの眺め》

本作の遠景に描かれているのは、板の裏側にある書き込みから、パリの北側に広がるモンマルトルの丘と考えられてきた。しかし、現在の丘の形状との比較から、その説を疑う意見も聞こえている。屋根の傾きや壁の明暗、空の色調の変化には、自然を観察する眼の鋭さを感じ取ることができる。

さわやかな港の風景に印象派の清新な息吹が重なる クロード・モネ 《ルーアンのセーヌ川》

一隻の帆船から荷物が運び出される情景が描かれており、当時の活気ある港の様子を伝えている。明るい色調の絵具を薄く塗った空や水には、多くの塗り残しが見られ、自由な筆触とともに画面上に新鮮な効果を与えている。印象派確立期の革新的な息吹きを感じとることができる。

緻密なスケッチの訓練 ポール・セザンヌ 《ジャ・ド・ブーファンの大樹》

明るい色彩と規則的なタッチが生み出す軽快な画面。記憶を素早く描きとどめるため、作者は好んで水彩画を用いた。右上から左下へと走る斜めの筆触は、1880年代のセザンヌ特有の手法。ジャ・ド・ブーファンとは、作家が愛した故郷の別荘の名前である。

近代人ゴーギャンによる牧歌的風景画の再解釈。 ポール・ゴーギャン 《家畜番の少女》

規則的な筆づかいによって薄く平面的に塗られた画面は、古いフレスコ画の典雅さを思わせる。アルカイックな表現のなかに、作者が追求した精神的な深みが息づいている。豚と家畜番を木立の前方に配した構図は、17世紀以来の伝統を受け継ぐものとして興味深い。

転居がもたらした新しい風景画 ジョン・コンスタブル 《ハムステッド・ヒースの木立,日没》

病弱な妻の健康を気遣ったコンスタブルは、1819年にロンドンからハムステッド・ヒースに移った。これを機に彼は、変化する空の様子と広大な風景を繰り返し描くようになる。1821年10月末日に制作された本作でも、日没の太陽が草地、木立と共に活写されている。

まるで宝石のような… サミュエル・パーマー 《ケント州,アンダーリヴァーのホップ畑》

所々に豊かな緑を織り交ぜながら、黄金色に輝く風景。金の粒を散りばめたような細かい点描により、画面一杯に表現された作物や木々は、実りの時を迎えている。小さな人物群と収穫との組み合わせは、ショーラムで制作した時期のパーマー特有のモティーフである。

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