館長あいさつ

館長あいさつ

 日本一高い山や南アルプスを擁しているにもかかわらず、静岡県の魅力は低い山々にあるのではないかと私は考えてきました。その風景は本当に穏やかです。

 学生時代に東京から静岡に戻る時、三島あたりから伊豆や箱根の山々を遠望したり、富士川を越えたあたりから新幹線の車窓になだらかな山が迫ってくると、とくにそう感じ、ああ静岡に帰ってきたなあと思ったものです。静岡県立美術館もそうした小高い丘の上にあり、そのまま日本平、久能山へとつながっています。

 ただし、私の故郷浜松には広大な台地が広がっており、かなりペダルを漕がないと(よく自転車で出かけたのです)、山が迫ってきません。そしてようやく山の懐へといたる土地が井伊谷いいのやでした。井伊谷川や都田川、気賀や引佐、子どものころから耳に馴染んだ懐かしい地名です。

 この夏、待望の<直虎展>が開幕しました。いや、展覧会の正式のタイトルは「戦国!井伊直虎から直政へ」というものです。今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に因んで実現した展覧会です。舞台はもちろん井伊谷。ドラマはあくまでも現代人が制作したドラマですから、画面に繰り広げられる光景はフィクション、登場人物のすべてが役者です。

 そうではない、直虎の時代をお見せしようという意気込みが展覧会タイトルには示されています。なぜなら、展示物はまぎれもない実物だからです。甲冑、刀剣、馬具、旗印、軍配、陣羽織、袈裟、楽器、文書、絵図、屏風、肖像画、肖像彫刻、いずれも五百年近い時を超えて現代に伝わっているものです。これら実物にぜひ向かい合っていただきたいと思います。

 もちろん、展覧会の展示物は企画者が選別し、配列するものですから、そこにはある種のフィクションや仮説が入り込みます。それにもかかわらず実物は実物なのであり、だからこそ、さまざまな見方や空想を見る者に許してくれます。したがって、展覧会に足を運んで、大河ドラマとの関係を確認することもまた楽しみのひとつといえるでしょう。静岡駅で手に入れたチラシには、人物の相関図がすべて役者の顔写真入りで示されており、なるほどこれはわかりやすいと思ったものです。

 最後に、私なりの楽しみ方をお伝えしましょう。展覧会場を歩きながら、「戦国!」をひとことで象徴する言葉は「人質」ではないかと思ったものです。現代社会ではまったく許されない憎むべき行為が、あの時代には社会秩序の維持に貢献していたという驚くべき事実。やがて、戦国時代が終わり、天下統一、天下泰平の世が訪れても、その根底を支えた参勤交代制度のさらに根底を人質制度が支えていたはずです。

 また、小高い丘や低い山には砦や城館が築かれました。飛行機もドローンも偵察衛星もない時代ですから、当たり前ですね。敵の動向をいちはやく知るためには高い場所の確保が必要でした。すると、穏やかに見えていた静岡の山々が、にわかに異なる様相を呈してきます。駿府と呼ばれた静岡は丘に囲まれ、いかにも防御に優れた土地だったのではないでしょうか。駿府の居心地はいかがでしたか、今川義元にも徳川家康にも尋ねてみたいものです。

 過去を知り、ひるがえって私たちが生きる現代を知る。あるいは、別の時代、別の世界を、別の論理で生きたひとびとと向き合う。これが美術館や博物館の醍醐味です。ぜひ、「戦国!井伊直虎から直政へ」展の会期中に、丘を上って美術館にお越しください。丘を下る時には、風景が違って見えることでしょう。

2017年夏

館長 木下直之

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