「黄金のファラオと大ピラミッド展」に寄せられた質問にお答えしています(5/30更新)。

展覧会
「黄金のファラオと大ピラミッド展」をご覧いただいたお客様から数多くの質問をいただいております。
それらの質問に対し、監修の方々から回答をいただいていますので、ご紹介します。
(会期中に新しい質問・回答があった場合はその都度更新していきます。4月27日公開)

 
子どものクフ王と雌ライオン女神の像が2体ありましたが、あれらはどのような所にあったのでしょうか?同じような趣旨や意匠のものが同じような場所にいくつもあったのでしょうか?つまり、日本の諸仏のように色々な所に似たものがあったのでしょうか?

古代にどういった場所に置かれたかは不明ですが、早稲田大学調査隊が調査を行っているアブ・シール南丘陵遺跡の岩窟遺構に埋納された状態で発見されました。このような陶製のライオン女神像は、ほとんど類例がありません。

 
三大ピラミッドの角度が太陽光線を表現したものとあり、そこからファラオは、太陽神ラーの化身と考えられるようになったとの解説がありました。ということは、これらのピラミッド以前は、王は太陽神と結びついていなかったのでしょうか?第4王朝では王はラーの化身と考えられ、第5王朝ではラーの息子と考えられるようになったともありましたが、これとどう重なる推移でしょうか?

王は既に初期王朝時代から太陽神ラーの信仰と結びついていましたが、より太陽神ラーの信仰が強力になったのは、第4王朝の頃からです。この頃に王は太陽神ラーの化身と考えられました。

 
メンカウラーなどの王の白冠とコブラのついたネメス頭巾は、意味や使用機会などにどのような違いがあるのでしょうか?

白冠は、上エジプトを象徴する冠を表し、ネメス頭巾は、王が比較的普段に被っていたものと考えられております。

 
一体の像が隣の像の体に回す腕が長過ぎるものが見られますが、当時の写実技巧のレベルと考えてよいのでしょうか?

写実的に表すのではなく、腕を回しているという行為を表すことが重視されたのでした。彫像は、メッセージ性が高いものと考えられます。

 
鬘をつけた高官などの像が多いようですが、当時の鬘はどのような意味をもっていたのでしょうか?

鬘は、身分や役職を示すだけでなく、ファッションや衛生的な意味もありました。

 
王や高官のみ左足を出す姿勢をとっていたのはなぜですか?

王や高官のみが左足を出す姿勢をとったのではなく、女性も左足を出す姿勢で表現されているものもあります。正確な理由は不明ですが、左足を出す姿勢が動きや生命を表しているとも考えられます。一方、両足をそろえた立像は、死者あるいは冥界の神オシリスと同じポーズということで、死を表すとも言われています。

 
人間=肉体+カー(霊、生命力)  +バー(固有の人格を宿した魂)とありました。では、なぜ肉体とカーだけの二重彫像なのでしょうか?三重彫像はないのですか?バーは鳥の姿で描かれるから三重にはなり得ないのでしょうか?

仰る通り、バーは鳥の姿で表され、固定した姿では存在しませんので、三重彫像はありません。

 
「女性が公的職業に就かないと社会的に虐げられているは全くの間違い」という解説がありました。やけに強い口調で、言い過ぎの感もあります。ある種のイデオロギーも感じます。古代エジプトでは性差による割り切った社会的分業が確立していたということはわかりますが、一般論として、政治や制度決定に女性が参加しない形態が続けば男性優位の社会構造が固定化することは東西の歴史が証明しています。この解説はどなたが書いたのですか?吉村作治先生の監修ということでしょうか?

この解説は吉村先生がお書きになられたものですが、先生が仰りたいのは、西欧的あるいは先進国での物の見方というのは、非西欧や古代社会においては当てはまらないこともあるということを言いたいのだと思います。これは解釈の問題ですので、何が正しいか正しくないかというのは個人の考え方次第であると思います。

 
作品No.090供物卓は、浮彫の向きから言うと逆向きの展示の方が解説の意味がわかりやすいのではないでしょうか?この向きにしたお考えを教えてください。

供物卓は、供物を捧げる人間のほうを向くのではなく、供物を捧げられた死者のカーのほうを向くため、このような展示にしたわけです。展示品は本来遺跡にあったものです。そのコンテキストを示すためにあえてそのように置かせていただきました。

 
ミイラカバーはミイラの覆いということですが、木棺の蓋とは別物ということでしょうか?

木棺の蓋とは別で、亜麻布に巻かれたミイラの上に被せたものです。

 
ミイラカバーと黄金のマスクは選択されるものでしょうか?併用されるものでしょうか?

とても鋭い質問です。ミイラカバーとマスクが併用される場合は、カバーの顔の部分はありません。

 
作品048「パン造りとビール造り職人の模型」は、模型であって本物ではないのですか?

本物です。古代に作られた模型であり、副葬品として墓に納められたものです。

 
067手鏡は、両面磨いて使ったのでしょうか?
 
両面磨いて使ったものもあれば、片面のものもあります。


 
本展に出品されている宝飾品のビーズ、どのような道具で削ったり、穴を開けたのでしょうか?そういったものも、エジプトで出土しているのでしょうか?
 
基本的にはフリント(火打ち石)製のドリルと石英の粉を研磨剤にして穴を開けました。作業の様子は壁画にも残されております。

 
黄金のマスクの材質として、カルトナージュが挙げてあります。これは何で、どこに使ってあるのですか?

カルトゥナージュトは漆喰と亜麻布を合わせて象ったものです。エジプト考古省から提示されたデータにそのように記載されていました。

 
016カフラー王像をはじめ、多くの男性坐像で、右手を握り、左手を膝の上に伸ばしたポーズが見られます。これにはどのような意味があったのでしょうか?
 
膝の上に伸ばしているのは特に意味はありませんが、右手には布が握られています。布を握る人物像は王や貴族に限られるので、権力を象徴するものと推測されていますが、正確な意味は不明です。


 
073皿形容器のキャプションには、「エジプト・アラバスター製の容器は液体を入れる用途には適していない」とありますが、そばにある069香油壷には、「中に香油や軟膏を納めていたと思われる」とあります。液体を入れていたのでしょうか?いなかったのでしょうか?
 
エジプト・アラバスターの容器は、内部に残滓が残っているものと、模造品として作られたものの両方があります。


 
エジプト・アラバスターの容器はみんな副葬用の模型で、実物では液体を入れていた、ということなのでしょうか?
 
考古学的な出土状況によりますので、一概には言えません。
 
 
古代エジプトの黄金製品は、全て砂金を集め、溶かしたものから作られたのですか?それとも、灰吹き法等の精錬法を用いて、鉱石から取り出したものなのでしょうか?
 
先王朝時代(前3500年頃)は砂金を集め、溶かした方法と考えられていますが、それがどこからもたらされたかは 依然として不明です。金鉱脈からの抽出は、初期王朝時代(前3000年頃)以降と考えられております。

 

このページについてのお問い合わせ

静岡県立美術館
学芸課 TEL. 054-263-5857

一覧へ戻る