ロダンについて
ロダンについて
オーギュスト・ロダン Auguste Rodin
19世紀を代表するフランスの彫刻家。
1840年、警視庁の下級官吏の子として、パリに生まれる。帝国素描・算数専門学校で美術の基礎を学ぶが、国立美術学校の試験に3度失敗。セーヴル磁器工場などでの仕事を経て、40歳で≪地獄の門≫の制作を国から依頼されてから、ようやく彫刻家として認められる。
以後、革新的な実験や大胆な造形力によって、20世紀彫刻への流れを準備する。

<右手を前に差し出すアトリエのロダン>
1911年 ゼラチン・シルバー・プリント(ファクシミリ)
年譜
1840年 | 11月12日、パリに生まれる。 | |
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1854年 | 帝国素描・算数学校に入学。美術の基礎教育を受ける。 | |
1864年 | 後に妻となるローズ・ブーレと出会う。 | |
彫刻家アルベール=エルネスト・カリエ=ベルーズのもとで働く。 | ||
1871年 | ベルギーのブリュッセルで、カリエ=ベルーズとともに働く。 | |
1875年 | 念願のイタリア旅行に出発。ミケランジェロらの作品に感動する。 | |
1880年 | サロンに出品した彫刻≪青銅時代≫が、国によって買い上げられる。 | |
≪地獄の門≫の注文を国から受ける。 | ||
1883年 | 助手・モデル・恋人となるカミーユ・クローデルと出会う。 | |
1885年 | 仏北部のカレー市から、≪カレーの市民記念像≫の注文を受ける。 | |
1888年 | コペンハーゲンの展覧会で、初めて≪考える人≫を展示する。 | |
1891年 | フランス文芸家協会から、≪バルザック記念像≫の注文を受ける。 | |
1898年 | カミーユ・クローデルとの別離。 | |
フランス文芸家協会が≪バルザック記念像≫の受取を拒否する。 | ||
1900年 | パリ万国博覧会開催。アルマ広場の特設展示場で一大回顧展を開催。 | |
1906年 | パリのパンテオン前に≪考える人≫(拡大像)設置。 | |
1917年 | 1月29日、ローズ・ブーレと結婚。 | |
2月14日、ローズ死去。 | ||
11月17日、ロダン死去。 |
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TEL. 054-263-5857